
それでも不安が残り、おかしいと思い耳鼻科へも出かけましたが、「大丈夫です」との診断で、二歳半までそのまま見過ごしてしまいました。また、二歳半になって知能検査もしましたが、「大丈夫」との結果に安心しておりました。
その後、三歳のとき札幌の北大病院の小児科に見てもらいました。医長さんのお話しでは、「言葉が発しなくなった原因は、心臓肥大によるもので心臓肥大は完治している。体の神経も大丈夫だが耳の音を聞き入れる神経が悪い」といわれ耳鼻科へ回されました。結果は、「感音性難聴」と、いわれました。
私は娘二人を夫の妹に頼み、月曜日から金曜日まで函館にアパートを借りて、ろう学校へ通い、土曜日は地元の幼稚園へ登園するという日々が始まりました。
幼稚園へ通わせたのは、娘に少しでも健康な子供さんからたくさんの言葉や遊び、社会的ルールなどを教えて頂きたいという私の思いからでした。
お陰さまで、どの子供さんとも仲よく遊び先生も一生懸命で、遊びのルールや絵日記の言葉などを教えて頂き娘は、「幸せだった」と感謝しております。
また、ろう学校へ行ったら、幼稚部の教えていることを、聞き逃さぬようにメモを取り、アパートでそれを復習し、普通の子供さんと会話ができるようにと練習に頑張りました。
「言葉の練習がイヤ」「ねむい」といやがるときなど、ときには物差しでたたき、鬼になって練習させました。親だからできるのです。親はいつまでも生きていません。そのときのことを考えると熱が入り厳しくなりました。
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